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このページは 2007年 09月 16日 16時49分16秒に巡回更新されました。
 死体恐怖症

【 69】 醒めるという現象 - glas-gather

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[引用サイト]  http://glas-gather.org/index/study/spoiled_enjoyment

サイトの更新というものは最初の頃がすごく楽しい。ほとんどの昨今作られているWEBサイトが、自分で何かを作っていくという云わばおままごと感覚であるものが多いだろう。男性なら飛行機作りであり、女性なら他者とのコミュニケーションとなる。ただし、これは傾向としてであって、必ずしも男女共々目的がこのような志向であるということではない。
その中で自分で自由にできるという実感を得られる。ただ現実と同じく折り合いをつけなきゃならないんだなーと、頭では分かっていても浮かれてるときがある。それが初期のサイト運営のときなんだと思う。
それが実感としてひしひし感じ始めたときちょっとずつ醒めてくる。醒めない人は飽きない。最初から自由に何もかもが創作でき、Webという制限の中での箱庭を求めていない人は飽きない。
その他、暇であるからという理由は求めていないにしても次第にのめりこむ率が高いと思われるため入れない。
これはモラトリアムモラトリアム状態の人間が醒めるという現象を起こしやすいといえる。モラトリアムは自己の安定感を絶えず求める時期のことだ。このタイプでは、自己実現のために必要なものがあればいつまでもサイトを運営する意欲はあるし続けることができるが、そうでない場合は次第に意欲を失っていくこととなる。
例えば男女差で自己実現の目的が違うと考えられるが、男性では思想、力の公開と継続が、女性ではコミュニケーションの力と継続ということがいえる。男性はその力が弱まり十分に発揮できなかった場合であるため、他者に影響される頻度は掲示板などで名誉を誹謗されるような事態が起こらない限りは低いといえる。また女性の場合、コミュニケーションを主とし、また掲示板というツールを用いて絶えずその人格と実力を誇示したいという意志が少なからず働く為、他者に影響されやすい。現実的に見てみれば、女性の閉鎖、仮閉鎖、縮小など様々な用語を用いてコンテンツを削除する行為に及ぶ頻度は高いといえるのではないか。
目的が自己の思うとおりにならないと思う。だから醒める。それが箱庭を求める人の醒めるという現象だろう。
なら、目的そのものを変えてしまえば醒めるという現象は起こらないのではないか、という考えもあるだろう。例えば、コミュニケーションが主とした目的であるならコンテンツの強化にあたれ、などという文句がそうである。だがこれは難しい。なぜなら、自己実現のための製作というものはそのものが満たされなければ本人にとっての成功とはいえないのだ。たとえコンテンツ充実を図りカウンターが廻ろうが、それは空しさだけを煽り尚更閉鎖という二文字への一途を辿りかねない。
そういうわけで、運営するときはどうでもいいと念じながら運営すると良い。サイト運営を同じサイトで続けることが難しいと殊更に言われているのは、サイト運営自体に価値の重みを置き過ぎて、それが逆に負荷や負担でしかなくなってしまうからである。やめたくない、けどやめてしまいたいと醒める一歩手前まできて考え悩んでいる人はこう考えるといいのではないだろうか。どうでもいいと考えることもある種の諦観であり醒めるということだが、自分から選んで考えたということが何より大事である。他者に圧迫されて選んだ醒めるとは全く質が異なるものだ。

【 70】 @nifty:デイリーポータルZ:オンド・マルトノという楽器

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[引用サイト]  http://portal.nifty.com/2007/04/25/b/

オンド・マルトノという楽器がある。オンドというのはフランス語で「電波」の意、そしてマルトノは製作者の名前だ。なので直訳すると「マルトノさんの電波」となるらしい。そんな謎の楽器が奏でる音楽を聴いてきました。
今回聴きに行ったコンサートはピアノ、ボーカル、テルミン、オンド・マルトノという構成だった。テルミン(ロシアで発明された世界初の電子楽器。乙幡さんの記事参照)の時点ですでに普通ではないが、さらにオンド・マルトノだ。どうなっちゃうんだろう。期待に満ちた観客を前にして、いよいよコンサートは始まった。
圧倒的な難解さだ。音を言葉で表すのは難しいが、簡単にいうと、わけがわからない。最初に演奏されたデュオという曲は、チェロをオンド・マルトノで、のこぎりをテルミンで表現しました、と言っていた。のこぎりて。オンド・マルトノは例えるならば中国の二胡みたいな音色がしていた。記事の最後に紹介するHPにサウンドファイルがアップされているのでぜひ聞いてみて欲しい。
ひとつ曲が終わるとまず舞台裏から拍手が起こる。そして我に返ったように会場も拍手をする。初めて聴く人にとってはどこで拍手していいのかすらわからないのだ。
難解すぎて眠くすらならない。しかしそれでもすばらしい演奏は本能に訴えかけてくる。曲が進むにつれて我々観客も徐々に不思議な世界へと引き込まれていった。
そもそもオンド・マルトノというのはどのような楽器なのだろうか。コンサートの後に「質疑応答」という時間があったので(そんなコーナーのあるコンサートも珍しい)いろいろ教えてもらった。写真は演奏者の市橋若菜さん。国内には数えるほどしかいないという奏者の一人。
オンド・マルトノは1928年、フランスで開発された。鍵盤があるのでオルガンのようにも見えるが実際は全く異なり、弦楽器の演奏をイメージして作られているのだという。演奏者はリボン(弦だと思います)へと繋がるリングと呼ばれる部品を右手の指にはめて鍵盤に沿って左右に動かす。これが弦楽器でいうところのフレット(弦を押さえる部分)にあたるのだとか。鍵盤はあくまでもリングの位置の目安ということだ。
楽器自体はあまり知られていないが効果音的に使われていることが多く、普段知らずに耳にしていることがあるらしい。たとえば水戸黄門の弥七の登場の音(ひゅーんという音)とかゴーストバスターズのお化けが飛び回る音とか、実はオンド・マルトノで演奏されているのだという。
そして左手でスイッチを操作して音を出す。要するに弦楽器でいうところの弓の役割だ。「引き出し」と呼ばれる操作部には小さなスイッチがずらっとレイアウトされていた。
ぜひとも実際に触らせてもらいたかったのだけれど、この楽器、現在は製造されておらず大変に貴重なのだ。今回は残念ながらここまで近づくのが精一杯だった。カメラのストラップとか引っ掛けて倒したりしたら、僕はもうここにはいない。
次に音の出る仕組みだ。弦の操作で発生した音波は音としてこちらのメタリックと呼ばれる装置から出力される。見た目銅鑼(ドラ)だが、やはり銅鑼らしい。周波数の異なる音波が共鳴して銅鑼を震わすということだが、原理はよくわからない。
そのひとつがこちら、パルムと呼ばれる装置。ますます難解になってきた。構造はよくわからないが、裏表に弦が張られた琵琶みたいな物体だ。内部で共鳴した音が弦を揺らす。
そしてその下にあるのがプリンシパルと呼ばれる装置。これも出力装置だ。内部に大きなスプリングが仕込んであり、それが震えることにより音が出る。
オンド・マルトノ全景がこちら。総重量は100キロを超えるが、今回の演奏者市橋さんはツアー中は一人で移動させているのだと言っていた。はじめは市橋さんがなぜこの楽器を選んだのか不思議に思っていたのだが、説明を聞いているうちに自分でも欲しくなってきた。でも売るなら5億、と言われて僕の場合あきらめた。
世の中には僕たちの知らないものがたくさんあり、それらにはそれぞれの専門家がちゃんといるのだ。まだまだ世界は個性に満ちているのだと思った。はじめるなら他の人がやっていない楽器を、という方、オンド・マルトノなんてどうでしょう。

【 71】 バグという言葉について:佐野裕のサーバ管理者日記:ITpro

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[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20061002/249584/

ユーザはシステム不具合に遭遇すると気軽に「バグった!」という言葉を連発しますが、システム開発に関わる我々からするとバグという言葉を聞くと心臓に悪いのでやめてほしいといつも思っています。そもそもバグという言葉にはプログラムの不具合という程度の意味しかないわけですが、世の中を見渡してみると、バグという言葉はどうも広い意味で使われすぎているように思います。そこで今回はバグという言葉について考えてみようと思います。
バグという言葉が大衆化したのはファミコン時代からではないかと思います。ファミコンで気軽に遊ぶ子供達が、動作不具合を見つけるや「バグだ。バグった」の大騒ぎ。ファミコンの場合システムトラブルの原因にはプログラムの不具合の他にカセットの差し方が悪い、ほこりがたまりすぎてショートした、熱暴走等々様々な要因があったわけですが、子供達はそれらをひっくるめて全て「バグった」という言葉で片付けてしまいました。ここからバグという言葉に対する誤用の一般化が始まったのではないかと思っています。
社内でシステムを使ってもらっていると、たまに「これはバグですか?」という問い合わせが来ることがあります。調べてみると、元々要件定義になかったので実装していなかった機能についてだったり、ユーザに使い方を誤解されていたりといった場合がとても多いです。これらは明らかにバグではないです。何故なら動作結果はどうであれ仕様通りであり、プログラムの不具合ではないからです。
ユーザにとって、自分自身が想定しない境遇に陥った場合それらはすべて「バグ」と片付けてしまいます。ユーザにとってシステムは一つのブラックボックスであって、自分の思い通りに動かなければ原因がどんなことであれ「バグった」状態であると片付けてしまいます。
しかし我々がユーザに対して「これはバグだ」「これはバグではない」という説明をいちいちしたところで全く効果はないと思っています。何故ならユーザにとっての関心ごとはシステムが正常に動いているか動いていないかであって、これまではそれを「バグった」という一言で説明できていたわけです。もし我々がバグという言葉の正確な定義を教えたとしてもユーザがそのような便利な言葉を簡単に手放すとは思えません。
そう考えると今後も「バグ」や「バグった」という言葉はシステム不具合と同義語で使われ続け、消えてなくなることはないと思われます。心臓に悪いですけど。
jspやapacheなどのエラーメッセージって、いかにもシステムトラブルだ〜って画面でどきっとしますよね。たしかにあの画面を見ればユーザが「バグった〜」と大騒ぎするのもわかる気がします。
そこで私はエラー画面をもっとユーザフレンドリーにすることをお勧めします。たとえばエラー画面を4コマ漫画にしてどう対応すればいいか教えてくれるとか。
ただ残念なことにそういった本質的ではない部分にはなかなか工数や予算をかけられない事情もあるんですよね。そういった遊び心を取り入れられるような楽しいシステム開発を行いたいものです。現実逃避工数(?!)をそちらに回すとよいかもしれません。
国内某有名ITベンチャー企業に創業メンバーとして携わる。国内最大規模のシステムを構築運用してきたほか,社内情報システム業務を経験。韓国の交友関係が豊富なことから,韓国関連で多数のシステムインテグレーションを行ってきた。

【 72】 イランという国で

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[引用サイト]  http://sarasaya.exblog.jp/

家に閉じこもっていると全く意識しないで過ごしてしまうのですが、それだけではなくて、テヘランの雰囲気がまたなんとなくだらけているというのもあるのではないかという感じもします。
大学や役所へ行くと飲み物のサービスがなくなってしまっているので、ああ、ラマダーンなんだなあ、などと意識はしますし、レストランやファストフードが昼間は閉まってしまうのでお昼を外で食べられないというところにラマダーンを感じるのですが、この数年は、ラマダーン中の外出に緊張をする必要を感じなくなっていることも確かです。
以前は、外出したら何も口には入れられないぞ、という気分があったのですが、この数年は、堂々と歩きながらチップスを食べたり、ジュースを飲んでいたりする若者(に限りませんが)が目につくようになり、開店準備をしながら客の前で堂々と朝食を口にする人が増えていたり。それを見ていると、私が外で飲食をしても構わないかな?という気分になるわけです。
私が目にした飲食をする人たちにしても、もしかすると、たまたま、その日は断食ができない日で、食べ物や飲み物を口にしただけなのかもしれないし、あるいは全く断食をする気がなくてそうしているのかもしれないし、見ただけでは判断ができないからです。
真面目に断食をしている人も私の周囲にはいますし、「する必要なんてない」と断言する人もいます。断食をしている人にも、心から断食をしている人もいれば、市内と体裁が悪いからと言うだけでしている人もいます。
とりあえず、大学の開始が遅れてくれたのはラッキーだなあと、ちょっと有り難く思いつつ、もしかしたら、大学としても断食の面倒を少しでも短くするために、授業開始を予告よりも送らせることにしたのでは?と、ついつい勘ぐってしまうのでした。
15日に授業を開始するから学生に周知徹底するように、という先学期の指事は何だったんだろうなあと、ちょっとぼやきたい気分です。
以前にも書いたとおり、学生たちから「寮が開いていないそんな時期に授業を始められても困る」とさんざん言われたのですが、結局こうした問題が解決しなかったのでしょうか。あるいは他に何らかの問題があったのか。
イランは宗教関連・革命関連の祝祭日が日本の倍ほどあり、また、学期の途中に正月やアーシュラーをはじめとする大きなイベントが挟まると学生が一斉に自主休講をしてしまうため、16回行うべしとされている授業数を確保できないことが多くあります。
これを是正するため、授業の開始を繰り上げ、授業数を確保しようというのが先学期末の通達の目的の一つだったのではないかと思うのですが、どこで何が起こったのでしょうか。この突然さがイランらしいといえばらしいのですが。
まあ、いきなり「早く始めるから」と言われるよりは延期の方がまだいいのですが、授業の計画を少し変更しなくてはいけません。今学期は担当授業数が少なめなので助かったなあと、ちょっとほっとしているところだったりするのです。
指の故障でキーボードをたたくのが少し難しい状態になってしまいました。なんだか次から次へと故障が出てくるさえない夏だったなあと、ちょっとがっくりです。
それにしても、こうなってみて実感するのは、PCを使えないととても困るようになってしまっている自分の仕事と生活です。
PCに縛られるにつれて、こうした場所でゆっくりと過ごすことも少なくなってきたように思います。いかんなあと思うこともあるのですが、生活に追われてしまい、なかなかうまくいきません。
と、ここまでキーボードをたたくのに普段の倍くらいの時間がかかっています。全く持って不便なことです。左手の小指といえど、タイプをするには大切で侮れないのだということを身をもって知らされたのでした。
1996年のこの日に、ペルシア語の勉強のためにイランにやってきたんだなあとしみじみする日でもあります。
語学研修だけで日本に帰る予定だったのが、気がつけばイランで学位を取得し、仕事もイランがベースになりと、自分で考えていた以上に長く、深くイランと関わることになりました。
盂蘭盆会という言葉を見ていて思ったのですが、イランのシーア派の人たちにとって死者というのは毎週のようにこの世に帰ってくるのですから忙しそうです。
毎週、日本流にいうと木曜日の午後になると、亡くなった家族に会うために訪れた人々で、シーア派地域の各地にある墓地はいっぱいになります。イランに来たばかりの頃はそれを知らなかったので、イランというのは週末毎に随分と沢山葬式があるんだなあなどと思っていたものでした。
お墓を水で清め、花を飾り、墓石に触れてファーテヘ(コーランの開扉の章)を詠んで故人の功徳を積み、ドアー(祈りの言葉)を唱える人々を見ていると、同じイスラームでも、「故人と神の問題だから」と墓参りなどを特別に行わないスンニーの人たちとはずいぶんと違っているなあと思わずにいられません。どちらかというと日本の墓地の光景の方が似ているのかもしれません。
ずっと以前に知人から聞いた話なのですが、何世紀か前に書かれた地理書の中に、「墓石に腰をかけたり、キスをしたりしてはいけない。それはキリスト教徒の習慣である」というような注意書きがあるのだとか。
それを聞いたとき、「その『やめなさい』といわれている行為は全部、今のイラン人はやっているよ」と思ったものでした。
マシュハドのエマーム・レザー廟やゴムのマアスーメ廟を見ていてもそうですが、参詣者は葬られている人の墓石あるいはそれを覆っている柵に触れること、接吻をすることに非常にこだわります。
たとえ「異教的行為」と言われようと、故人と(直接ではないにしても)触れることで交流の基本なのかなあと、墓地に行くたびに思ってしまうのでした。
でも考えてみたら、生きている人の間でも抱き合ったりキスをしたりと接触が多いので、相手が誰であれ、「触れあうこと」が基本なのかもしれません。こちらは同性間に限りますけども。
ちょうど先月もそんな話をしましたし、月あたまだし、ちょうどいいか(?)ということで、8月のキーワードからです。
「さらさや 通称サラさん イラン」というのは誰かにこのブログの話を聞いたということなのかな?と、ちょっと想像してしまいました。
もうじき始まるラマダーンについて調べているのか、「ラマダーン」「断食」に関連したキーワードや組み合わせが多かったのが先月は目立ちました。
それと、旅行関連でしょうか、イラン国内の地名を筆頭に、トイレ、旅行、服装といった言葉も目立ちます。その中でも目を引いた、「イランエア 危険」「フォッカー100の耐用年数」というのは、このところのトラブルの多さを鑑みると私も気になるところです。
それから、いつもに比べて異常に多かった「ダルビッシュ」関連。彼の結婚やら国籍選択がニュースになったからでしょうか。尋常でない数の方がこのキーワードを使っていらしたようです。
「欠席 卒業式 大学」 何を調べていらしたのかとても興味があります。このブログですと、学生の自主卒業式に私が欠席してしまったという話がヒットしたはず。
なぜかいつもコンスタントにある「バナナディスプレイ」 これを調べていらした方とはお友達になれるに違いないと、かなり真剣に感じています。
私的に今回一番のヒットは、「ならまだダム」 こういう用語があるのかと思い、調べてしまいました。そしたら、このブログの「スィーヴァンド・ダム」がトップでヒット。特に意味がないことが判明してしまいました。入力ミスとか変換ミスなのかもしれません。
だからどうした、と言われればそれまでなのですが。でも、こうしてみると、イランのどのようなことに興味を持って検索が行われているのかが分かって、おもしろいなあと思うのでした。
イランの核開発疑惑に関してエルバラダイ氏が発言をしたとか、革命防衛隊の司令官が交代したとか、ガソリンの配給制が始まってから物価が上昇しているとか、気にすべき事は沢山あるのでしょうが、今私にとって何よりも気になるのは健康診断の結果です。
実は、先学期末から忙しくて生活が不規則になっていたのとストレスとから、腎炎を再発しかかり一ヶ月の安静を申しつけられるというさえない夏休みだったのですが、健康診断の結果を見て目を疑ってしまいました。
夏休みの始めに高かった白血球値などはなんとか正常の範囲内に収まっていたのですが、「肝機能障害の疑いがあるよ。再検査はしないでおくけど常に気をつけておいてね」とのこと。
お酒も飲まないし、夏休みに入ってからはすばらしく健康的な生活を送っているのになぜ?という感じです。
それにしても、「気をつけて」といっても、じゃあ具体的にどうすればいいのかというアドバイスもないというのは不親切だよなあと思うのですが、そんなものなのでしょうか。
「肝機能障害の疑い」もびっくりでしたが、それよりも、もう一つの注意、「肥満には気をつけてね」というのがなによりものがっくりなのでした。
テヘランの東にダマーヴァンドという小さな町があります。イラン最高峰ダマーヴァンド山の麓にある町ですが、町からはダマーヴァンド山は見えないというおもしろい町です。
町の歴史は古く、バーザールを中心とした一角には古い町並みが残り、歴史的建造物もたくさん残っています。
元々は町の外にあったものが、最近の開発で町がすぐ近くにまで迫ってきていて、墓地が荒らされるのではないかと少々心配です。
古いとはいえ、小さな町だったダマーヴァンドに広大なユダヤ人墓地があるというのはなんだか不思議な感じなのですが、面積だけで言うなら、今のムスリムの墓地よりも広いかもしれません。
古い墓石はすでに壊れたり埋もれたりしてしまって、こうして見ることができるのはここ数十年分くらいなのですが、それでもこの辺りにたくさんのユダヤ人が住んでいたことが分かるくらいにはたくさんの墓石があちこちに点在しています。
ダマーヴァンドの人に聞いたところ、今は町にユダヤ人は恐らくいないのではないかとのこと。イラン・イスラーム革命後の、非ムスリムには住みにくい社会で一番大変だったのはユダヤ人でした。多くの人がアメリカやヨーロッパに移住し、人口は激減しました。
ヘブライ語は読めないので分かりませんが、ペルシア語の墓碑を読む限りイスラーム系の名前が見られることです。ユダヤの名前をイスラーム風に呼んでいるだけなのかもしれないのですが、それでもちょっとおもしろいなあと思ったのでした。
墓碑の一つには、「彼は生前医者として多くの人を救い、ダマーヴァンドの人々から大いに敬意を払われた」とありました。
この頃は当たり前だった隣人関係がどうしておかしくなってしまったのだろうと、政治がもたらした現状を悲しく思わずにいられません。
現在、テヘランのユダヤの人たちは、テヘラン郊外にあるキリスト教墓地の一角に埋葬されているそうです。
特に管理人がいるわけでもなく、囲いが設けられているわけでもないダマーヴァンドのこの墓地が、「イランとイスラームの敵たちのもの」という訳の分からない主張によって荒らされることのないよう願っています。
知人と話している中で、多分、どうでもいいようなことなので、何となく不思議に思いつつ二年間放っておいた疑問を思い出しました。放っておく程度のごくごく些細なことなのですが。
私自身がテヘラン大学の学生だったときには気がつかなかったのですが、教える側になって何となく気になることがありました。
ノートをとるために、試験に回答するために、シャープペンシルを使う学生が多くいます。それは別に普通なのですが、ちょっと気になることがあります。
シャープペンシルの芯を足すときに、あるいは交換するときに、シャープペンシルのどちらから芯を入れますか?
これが一人だけならそれほど不思議に思わなかったと思うのですが、意外とこういう入れ方をしている学生が見えるのでちょっと不思議でした。
芯が出るまでかちかちとノックするのがいやなのかなあ?とか、おしりの方から入れられない理由があるのかな?とか、目撃したときにはちょっと不思議に思うのですが、大きな疑問ではないために授業あるいは試験が終わるころには、不思議に思ったことすら忘れてしまう、本当にちょっとした疑問なのでした。
イランでは、シャベ・ヤルダー(これについてはこちらを参照ください)の時などに「ハーフェズ占い」をします。
ハーフェズというのは14世紀ころにシーラーズに生まれた詩人の名前です。彼の詩は神秘主義的な色合いの強い抒情詩が中心で、その美しさから「神秘の舌」という異名を奉られているほどです。
その詩の美しさ故に今でもファンが多いハーフェズの詩ですが、その神秘主義的な色合いと言葉の持つ複雑さ故に様々に解釈できることでも有名です。その曖昧さを利用したのがハーフェズ占いです。
ハーフェズの詩集を持って、自分の占いたいことを思い浮かべながら針を刺し、その針が刺さったページに書かれている詩を解釈するというもの。
ということで、本当なら詩集を使うのでしょうが、タロットカードなどの影響なのかこうしたカードも売られています。
これを見ていると、イランは本当に「偶像禁止」をうたったイスラーム国なのだろうか?という疑問がわき上がらないでもないのですが、まあ、芸術の国ですし、いいのかな、と勝手に納得することに。
神秘主義的素養も文学的センスもない私が読んでも、ふ???ん、で終わってしまうところが悲しいのですが、大学時代の同級生や知人たちは「美しい詩だよね」と味わっていたことを思い出してしまいました。
観光地として有名なのでいつでも人でいっぱいですが、観光客に混じって、ハーフェズの詩に傾倒する人がハーフェズの墓石に触れたまま物思いに浸っていたり、ハーフェズの詩を読みながらいつまでもそこにたたずんでいたりする様子もよく目にします。こうした光景を見ると、何となく圧倒されるものを感じないではいられないのでした。
全体いろいろイラン人イスラームのことテヘランにてイラン各地の話&交通事情イランの食卓学校&大学でスポーツ今日のカレンダーイランの情報お知らせ
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【 73】 My Life Between Silicon Valley and Japan - 虚業という言葉について

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[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060313/p2

サンデープロジェクトでは、実業か虚業かとかいう無意味なテーマが話し合われ、その中で僕の本も紹介されたらしい。
嫌な言葉だなぁといつも思う。嫌な言葉のわりに、日本の製造業系、重厚長大系の企業幹部は、この言葉をとてもカジュアルに使う。自分たちがやっているのは「実業」だけど、君がやっているのは、たかが「虚業」だろう、というふうに人を見下すのである。
僕は二十代後半から米国のコンサルティング会社に勤め、シリコンバレーでコンサルティング会社を興して八年になる。経営コンサルタントという職業に誇りを持ち、プロフェッショナルとして仕事をしてきたし(そろそろ二十年)、自分が興した会社にも誇りを持っている。
それがどんな公式な場であれ、僕の事業に対して「虚業」と言った人には、相手がどんな偉い人でもその場で「その虚業という言葉は、死ぬ思いで会社を興して経営している人間に対して、とても失礼な言葉なんですよ」ということをこんこんと説明した上で、きちんと謝罪を求めるというルールだ。日本のエスタブリッシュメント社会において、こういう反応は「職を辞す」(委員をやめる、コンサルティング契約を破棄する)覚悟を伴う。だから、腹が相当すわっていないと、その場で瞬時にそう対応するという判断ができない。それで悔しい思いを何度もしてきたから、心の中にルールを作っておくことにしたのである。
むろんオフィシャルな委員会のような席や、その後の懇親会の席で、ものすごく偉い人に向かって、僕がこういう強い反応をすれば場が凍りつく。でもときにそういうことをしなければ、「虚業」という言葉がどんなに無礼な言葉なのかに、彼らは気がつかないのである。
日本のエスタブリッシュメント社会に素晴らしい人たちがたくさんいるのは事実なのだが、おそろしく頑迷な人々(過去の成功体験がその頑迷さを強固なものにしている)が組織の中で力を握っているところが多い。「虚業」という言葉は、そんな日本社会の風景を象徴する言葉なのである。
researcher 『モノをつくらない産業はダメだというのは、基礎研究や医療をやっている者にも、かなり厳しいお言葉です。この分野の人たちも、カルテや正式な病人、誰が読むか分からない論文以外はほとんど何もつくってはいません。ただ、それらによって個人のQOLが向上・維持されたり、新たな学生が育ったり、世の中の誤解・偏見が解除されたりします。少なくとも、そういったことを各個人のcommitementとして持っている人が大勢です。何か手で触って堅いモノができればいいというのは、あまりにも偏狭で不遜な知識(というか無知)の現れでしょう。悪口に悪口で返すつもりはありませんが、公共性に乏しいという意味で一番虚業に近いのは、むしろ、一部(?)の政治家や、法案作成命の官僚、いつまでの反体制のつもりで浅薄な批判を繰り返すマスコミではないでしょうか。』
Maki 『これまでのイノベーションは、主に『自然工学』を中心に展開されてきたと思われる。確かに、世の中は産業革命以後、革新的な技術はモノを中心にインベンションが進展してきた。だが、本来、技術とは人間系が果たすであろうオペレーションや生産性の向上を支援・アシストすることに大きな価値を見出してきたと思われる。つまり、ビジネス戦略やビジネスプロセスといった『社会科学』を先行して議論し、マンパワーの不足や生産性を高めるために自然工学(モノ)を適用していく必要があると思われる。これからの時代は、両方のスキルが求められてきているのではないかと予想される。グローバル化と情報革命の本当の意味と可能性は、そのポテンシャルの大きさゆえに言葉で説明することはできない。しかし、われわれは変化という厳しい環境を乗り越え、新しい未来を切り拓いて行かなければならないだろう。元インテルのCEOであったアンドリュー・S・グローブ氏は次のように語っている。『一番大事な課題とは、環境変化の犠牲者にならないためには、自らのキャリアを管理しなければならないことだ。自分の進路や職歴については、自分だけが唯一の所有者である。自らの価値を高め、学習し、適応していく必要がある』と。梅田さんの言葉は、とても意味深いと予想される。』
mmt 『虚業という言葉の定義があってないようなものだということなんでしょうか?複次的にでもモノ、価値を生み出せる事業は虚業ではないと思うんですけどね。基礎研究だって将来革新的なモノ、価値を生み出すかもしれませんし、良い学生を育てられれば彼らが何かを生み出すかもしれない。医療の発展があったからこそ健康を維持しながら仕事に打ち込めるんだろうし。1ホップ先までしか考えられない人が実験を握っている社会のほうが怖いです。』
jseita 『「はてな」を介して、「あちら側」と「こちら側」を近づける方法として、立花隆氏に「はてなブックマーク」をご紹介するというのはどうでしょうか?すでにヘビーユーザかもしれませんが・・・』
彷徨中 『まー職業の内容を知らないで「虚業」と呼ばれることもあるでしょう。これは無知が罪なのかという反論もある。それよりよく知られた職業で「虚業」と認定されるものもある。他人に認定されるより、当人自身によって誇りが感じられずに。史上最高利益を享受する銀行の誇りと、トヨタの誇りは同じものなのかと。』
あのー 『「その虚業という言葉は、死ぬ思いで会社を興して経営している人間に対して、とても失礼な言葉なんですよ」と言っているのが本当なら、相手は「そんなにコンプレックス持っているのか」と思うだけじゃないでしょうか。相手が言っているのは虚業か実業かで、死ぬ思いでやってるかどうかではないでしょうから。例えば死ぬ思いでネズミ講をやっている人がいても「早く足を洗えよ」っていうのと同じです。自分の事業は「虚業」ではないと説明してもらえれば理解できるでしょうが。』
kodomono-omocha 『日本のコンサルタント業界の質が低いのが原因でしょう。コンサルタントって、横文字並べてえばるのが仕事と勘違いしているアホがいまだにいる。会社に合わせてシステムを構築するのではなく、自分が構築したいシステムに会社を合わせる事を半ば強要するITコンサルタントが諸悪の根源だね。』
hamasta 『銀行の中の人は何故「俺達こそ実業で重厚長大産業の連中は虚業だ」とは思わないのかな?それは、人にとって自分の目に見える具体的な物体こそ確かな価値として認識できるというのが世の中の大半だからでしょう。言葉や数値などの抽象的なものは価値として認識されにくいのです。これは自然な事だと思います。言葉や数値が価値を持ったのはごく最近、せいぜい数千年以内でしょうから。*ちょっと例えは違うかもしれないけれど、喫茶店でコーヒーを1杯飲むのには何の躊躇も無いのに、本屋さんで「ウェブ進化論」を買う時は、値段を見て迷ったあげく1時間粘って立ち読みしたりね。。』
袋小路の男 『ネット変更で見られなくなった系列の局を復活しようと13年前、44歳で退社し1人で出資者、賛同者集めにひそかに動き始め、地元でそれなりの経営者にお会いすると、必ず「貴方達の業界は虚業だからな」と、言われました。手にとって見れる、動いている機能性の素晴らしさが実感できる。それに較べて商品も見えないし、スキャンダルも多いしなんと言っても派手だし。とても寂しく、そう決め付ける思考回路の単純さに腹が経ちました。梅田さんの覚悟と信念に教えられます。』
CybernetWalker 『私はIT産業で長年、飯を食っています。時々、自虐的に「虚業かな。」と思うことがあります。ITのIはInformation,翻訳が適当かどうかはわかりませんが、「情報」と言われつづけてきました。情報って、なにかコトが起きなければ無意味だと私は思っています。時々、我々は情報こそが死命を制すると、情報が一人歩きするような感覚をもってしまうことがあります。でも、そんなことは長い目で見るとおかしな話です。人間にとって衣食住が基本だとしたら、情報だけでは満たされません。それは通貨が食べられないことと同じです。確かに情報を扱うことこそが、人間の人間たる特徴かもしれません。情報の最たる、思想や思い込みなどの情報により、言い争いや戦争まで起こってしまうことがあります。そういう情況を見るたびに、虚像に踊る人、躍らせる人に歯がゆい思いをすることはしばしばです。見えない情報を扱うことを生業とすることを虚数ならぬ、虚業と呼ばれるのであれば、私は甘んじて受けます。でも虚業には虚業のむつかしさもあるし、虚業なしでは市場も成り立たないでしょう、と淡々と事実を申し上げるまでかと思います。』
袋小路の男 『朝日新聞全5段広告、コピーして社内あちこち配達。「お前ら、絶対買って読め!」と、梅田さんの後輩筋にはとくに、強制的。(エヘへ・・)。』
Baatarism 『「虚業」という言葉には、江戸時代の身分が「士農工商」の順番とされたのと同じような発想を感じますね。』
こんにちは 『誤解です。虚業とは金融業のことであって、コンサルティングは立派な実業なのです。というか、みんな仲良く実業名乗ったらいいじゃん。銀行員が実業団駅伝走ってたりするわけだし。』
rintaromasuda 『本日の朝日新聞のコラム「政態拝見」にて、ウェブ進化論が引用されていましたね。最近露出度が高いです。』
hashimoto 『自分の事業を信じているのであれば、虚業と言われても気にすることはないと思います。私はあるIT製品分野に特化してマーケット調査の事業を5年ほどやっていますが、虚業とは言われなかったですが、似たようなことは最初のころは特に言われました。最近は徐々に変わってきたという印象はあります。虚業だ実業だとか非常に無味乾燥な議論です。幼稚園児がこっちがいいと言い合いをしているようなレベルです。虚業だ実業とわかって何が意義あることがわかるのでしょうか。というような感想を持ちました。』
サム・シーボン 『まさしく仰る通りです!何か救われた気がします。私はその姿勢に大変共感しました。「誇り」「勇気」「対峙」「主張」「相互理解」「尊重」などは、最近の日本社会では久しく見られなくなったような気がします。どんな議論を見ても、「客観性」「ロジック」「科学性」に欠けるものばかり、「恣意的な感情論」に走りがち。それが経験を積んだ重鎮ほどその傾向が強いのはなぜか?悲しむべき事象なのか・・・今はただただ、加齢後の自分がそうならないよう努めてます。』
Maki 『サム・シーボンさんのご意見に同感です。いまほどに、『距離を置いて眺めてみる』、『客観的な立場で考えてみる』、『俯瞰する』といった言葉に重みを感じた時はなかったのではないでしょうか。果たして、インターネットは何を変えたのか。経済のグローバル化とは何か。台頭するインド、中国との関係はどうするのか、といった大きな視点が、きっと意味を持ち始めている。インターネットがわれわれにもたらしたものは何か。少なくとも、『情報』におけるグローバリゼーションが実現している。いま、まさに、国家にとっても、企業にとっても、個人にとっても、これら『情報』を上手くビジネスに役立てるときが来ているだろう。『向こうの世界』として、Googleが注目されている。だが、それ以上に気になっていることは『米IBMの復活』である。』
chiitake 『こんにちは。私もソフトウェア開発でご飯を食べている一人です。先日、グッドウィルの折口が「製品でもIT,サービスでも、実業とは、価値があるものを提供すること。虚業とは価値の無いものを価値のあるように提供すること」と言われ、伝えやすい言葉に目からウロコでした。製品を作っていても、そういう意味で虚業の会社は多いですね。』
Maki 『「情報」と「知識」は異なった意味は異なっているだろう。コンサルタントは「知識」「暗黙知」を持っている。ピーター・F・ドラッカー氏は『ポスト資本主義社会』において、『知識だけが意味のある資源である』と述べています。つまり、「知識」がありさえすれば、われわれは世界どこにいてもお金を獲得することができるわけです。「Globalization 3.0」の本質は、まさに、ホワイトカラーたちに対して『ナレッジワーカー(知識労働者)』への変化を要求している可能性があると予想されます。いま、時代は大きな転換期にあるのではないでしょうか。』
cn 『『知識だけが意味のある資源である』。しかし、悲しいかな日本では軽視されています。また、日本は、「知識でお金を得るとはけしからん、汗水垂らして一生懸命働け。」だから、物づくり以外は虚業というのではないでしょうか。しかし、うがった見方をすれば、物づくりを強調すればするほど、それ以外を虚業と強調すればするほど、知識だけが意味のある”情報経済では何もできません”と言っているようなものです。』
a 『>cn ものを作るというのは、そうそう容易な事ではありません。作れる知識を持っているということと、実際に作れるということの間には大きな差があります。そして我々にはそれができるという、その自意識から虚業という言葉が出てくるのでしょう。『知識だけが意味のある資源である』とはいえ、単なる知識では無く、実際に価値有る影響を及ぼせる知識のみに価値が認められ、対価が支払われるのでは無いですか?僕には虚業という言葉は単に、ずっと昔からある記号操作を商売とする人間に対する不信感の類型でしかないと思えます。そしてその記号操作に価値を見出さない人間にとってそれが価値の有る仕事では無い、つまり虚業であるのは当り前の事でしょう。顧客であっても、契約を決めた人間、つまり価値を認めた人間と、実際に話を聞いている人間は別であることがあるでしょうから、そういった場合は、自分の仕事の価値を理解させるための諸々の手段を講じるべきでしょう。頭にくるのは当然でしょうが、かといっていかに失礼か説明する事は有効な解決策とは思えません。』
ADELANTE 『|虚業これこそ日本をだめにしている人達への言葉ですよね。#だれが、1,000兆円という借金ををつくったのか。<いわゆる実業>を行っている経営者でも、税金にパラサイトして生き残っている企業の経営者こそ、虚業家と言えるでしょう。』
cn 『「影響を及ぼせる知識のみに価値が認められ、対価が支払われるのでは無いですか?」確かにおっしゃる通りですが、新しい知識においては、日本人は先を見通すことが不得手ではないかと思ってしまうことがあります。たとえば、ライト兄弟に先駆けて一人の日本人が飛行機開発を行なっていた二宮忠八。彼の上司は飛行機開発の重要性がわからず、結果的にライト兄弟に先を越されたという話や、日本人が開発した世界で有名な八木アンテナもその良さを最初に理解したのは、日本人ではなかった。PCのコンポーネントは日本人が発明したものもあったようですが、日本では相手にされず結局IBMがその権利を購入した。戦時中のレーダー技術の軽視。また、立場によってしかその評価ができない面をもつ日本人ということでは、一介のサラリーマンであった田中耕一氏の発見を最初に評価したのは日本人ではなかったなど。戦時中でも一兵卒が重要な情報を幹部に報告しながらも、一兵卒だからという理由で幹部が軽視した結果、大損害を起こした海戦があったりと。影響を及ぼせる知識がなになのかということを見分ける力というのは、日本人はどうなのかという疑問があります。』

【 74】 セル生産方式+アジャイルという枠組み − @IT情報マネジメント

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[引用サイト]  http://www.atmarkit.co.jp/im/carc/serial/thinking08/thinking08.html

「アジャイルなソフトウェア・プロセス」という考え方がもたらされて早くも数年がたった。根強い反感や偏見はあるものの、アジャイルなソフトウェア・プロセスはさまざまな場所で使われ、確かめられ、拡張され続けている。それらの拡張の中にはささやかではあるけれど現場レベルで非常に有用なものもあるし、もっと大きなフレームワークとして考えるべきものもある。その中から今回は下記の本と資料を基にセル生産方式+アジャイルという枠組みを考えてみよう。
セル生産方式とは比較的最近になって(といっても十数年前から)注目を集めているモノの作り方である。(2)によれば「1人ないし数人の作業者が1つの製品を作り上げる自己完結性の高い生産方式」と定義されている。従来の長いコンベアによる生産とは対照的に、セル生産方式では屋台のようなブースで少人数がそれぞれ異なる複数の作業を行って製品を作る。職人による手作り生産の新たな復活という側面もあるようだ。
こうしてみると、アジャイルの考え方に慣れている読者にはアジャイル・ソフトウェア・プロセスとの親和性、類似点は一目瞭然であろう。長いコンベアによる専門作業の連続はまさにウォーターフォール・プロセスに対応しそうである。しかしこれはあくまで「モノ」の作り方であって、ソフトウェアの作り方ではない。リーン・ソフトウェア開発(注1)と同様、モノの作り方をソフトウェア作りに応用するには慎重でなければならない。
注1 お気付きのようにセル生産方式はリーン生産方式、 つまりトヨタ生産方式と強いつながりがある。トヨタ生産方式の大野耐一氏の後継者の1人である山田日登志氏が考案したものであるといわれている。
セル生産方式のソフトウェア・プロセスへの応用の1つは京都高度技術研究所の松本吉弘先生のグループで研究されているソフトウェア・セル生産(1)である。これはソフトウェア・プロダクト・ライン、ソフトウェア・ファクトリの考え方に「セル」を取り込んだ、かなり形式的で重量級のプロセス(メタ・プロセスというべきか)だ。まだまだ発展中とはいえ、「アジャイル」と呼ぶにはいささか気の引ける内容のようにも思えるが、ここではソフトウェア・セル生産をアジャイルの立場から(なかなか深遠な内容なのでその表面だけをさらっと)見直してみたい。
まずソフトウェア開発における「セル」とは何だと考えればいいだろうか。従来のプロジェクト管理手法ではWBS(Work Breakdown Structure)という、作業単位をツリー状に詳細化した作業一覧を作成する。またこの作業単位を「ワーク・パッケージ」(するべき作業を梱包した小包ですね)と呼ぶ。WBSはその依存関係に基づいてアクティビティ・ネットワーク(注2)へと展開される基となる重要なものだが、ソフトウェア開発では特に
注2 PMBOKではアクティビティ・ネットワーク図などと呼ばれている。ワーク・パッケージ間の依存関係は次回の制約の話で関係してくるところだ。
ソフトウェア開発における「セル」はこのワーク・パッケージに近い。ただしワーク・パッケージと大きく異なっているのは次の点だ。
ワーク・パッケージ同士は詳細化の関係でツリー状に接続されているが、セル同士は情報/成果物交換の関係でネットワーク状に接続されている
セルを入れ子にできるのはワーク・パッケージと同様。ワーク・パッケージのラベルには担当者、事前条件、事後条件、入力、出力、期間、作業内容、リスクなどが記述されるが、セルもほぼ同様。XPなどをご存じならば、このラベルとしてタスク・カードを想像していただければよい。セルはワーク・パッケージよりもダイナミックだから、必要に応じて分割したり、統合したり、ほかのセルに委譲したりすることもできる。セル同士の間では、さまざまな情報(ティップスとか問題点とか)や成果物が交換されるし、あるセルの作業中に別のセルに注意を促す必要があれば割り込みを掛けることになるだろう。
セルはわれわれがよく知っている何かに似ていないだろうか? そう、セルはオブジェクトなのだ。だからインターフェイス(受け取れるメッセージ群)さえちゃんと定義されていれば、その中身は何でも構わない。1人でやっているかもしれないし、10人かもしれない。最初は2人だったけど大変だからその場でセルを3つフォークする場合もある(注3)。人じゃなく、ソフトウェア・ツールでもよいわけだ。オブジェクトと同様、メッセージを受け取ってどう反応するかはセルの自律性に任されている。セルはほかのセルと協調しながらメッセージに応答する。オブジェクトのデザイン・パターンやアーキテクチャ・パターンなどと同様、セルにも協調関係のパターンがある。セルがワーク・パッケージに比べてダイナミックな性質を持っていてもちゃんと作業ができるのは、セルの自律性による。そしてセルの自律性がセル生産方式の最大の利点なのである。
注3 Unified Processなどの繰り返し的プロセスでイテレーションの規模と回数を調整することによって多様なソフトウェア・プロジェクトにテイラリング(カスタマイズ)可能であったのに似ている。セルはイテレーションよりも粒度が小さいが。
また、セルはワーク・パッケージと同様に、アーティファクト(作り出すモノ)に対応したセル(例えば、あるストーリを実現するセル、このセルには分析、設計、テスト、実装というプロセス一式がパッケージングされている。これをアーティファクト・セルと呼ぼう)と工程に対応したセル(例えば、統合テストを実行するセル、このセルにはすべてのモジュールが集められテストされる。これをアクティビティ・セルと呼ぼう)がある(注4)。
注4 現在のソフトウェア・セル生産の考え方ではこの区別と用語は公式には存在しないようだ。
XPでは2人単位(ペア・プログラミング)、生存期間(イテレーション)1〜2週間のアーティファクト・セル(=2人アーティファクト・セル)が中心で、そのラベルはタスク・カードで与えられる、ということができる。Scrumの場合には7人前後のチーム全体が1つのアーティファクト・セルで、セルの生存期間は1カ月、そのラベルはバックログで与えられる。このセルの内部はカプセル化されていて外からは見えないが、内部的には非常に小さなセルが時間単位で絶えず生起していることだろう。
さて、このソフトウェア・セルの考え方からはモノ・セルと同様に、変化に対応しやすい/作業者のモチベーションが上がる/生産性、品質の向上が図れる/無駄(仕掛かり在庫)が少ないという利点を本当に得られるのか? われわれはそう信じるが、その点についてはまだまだ探求が必要そうだ(注5)。
注5 アジャイル・プロセス協議会のアジャイル・ソフトウェアセル生産ワーキング・グループでは松本先生を迎えてソフトウェア・セル生産についての学習、研究を行っている。
ソフトウェア・セル生産におけるセルは、われわれがよく知っている何かに似ていないだろうか? そう、セルはオブジェクトなのだ。だからインターフェイス(受け取れるメッセージ群)さえちゃんと定義されていれば、その中身は何でも構わない。1人でやっているかもしれないし、10人かもしれない。
オブジェクトのデザイン・パターンやアーキテクチャ・パターンなどと同様、セルにも協調関係のパターンがある。セルがワーク・パッケージに比べてダイナミックな性質を持っていてもちゃんと作業ができるのは、セルの自律性による。そしてセルの自律性がセル生産方式の最大の利点なのである。
情報マネージャのための「今日のひと言」 - 2007/9/14『スピード』 仕事には、必ず納期があります。仕事は決められた“期限”に、求められる“品質”を……>>続きはクリック
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【 75】 電力線というありモノでLAN構築!の現在過去未来:ネットワークコラム ─ @IT

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[引用サイト]  http://www.atmarkit.co.jp/fnetwork/column/narumono14/01.html

この12月から発売された、屋内・構内LANとしての高速タイプのPLC機器。ラストワンマイルの夢を捨て、LAN利用として限定されたいきさつや、実際の使用感と無線LANと比較した速度レポートをお届けする
あれは2001年の冬だった。小雪が舞い散る福岡の地に降り立った筆者を迎えてくれたのは、体感で56kbpsアナログモデム程度の通信と、デスクトップパソコンよりも一回りも二回りも大きい専用モデム。九州電力が当時実施していた「PLC:Power Line Communications」(電力線通信)の実験だ。
東京めたりっく通信がサービスを発表した直後でブロードバンドなどという言葉が珍しく「ロクヨンロクヨンイチニッパ」のISDNが一般ユーザーにとっての最速インターネット、そんな時代だった。それにしてもだ。目の当たりにしたノロノロ速度と巨大なモデムを前に「果たしてこれが使い物になるのか」と心配になったものだ。
当時のPLC実験は、現在と違い10〜450kHzという低い周波数帯域を利用したものであり、電柱まで敷設された光ファイバーから、宅内へ引き込む部分の通信、つまりラストワンマイルの最後の数〜数十メートルに利用できないかという実験だった。それに、理論上の最大速度も約3Mbpsと、いまとなっては、何それ、といいたくなるようなシロモノだ。
あれから約6年、PLCは紆余曲折を経て、やっとわれわれ一般ユーザーが日本国内で合法的に使える技術として認められ、そして対応製品が登場した。
ただ、今回のPLCは当時と異なり、2〜30MHzという高い周波数帯域を利用して通信を行うより高速なタイプ(理論上は190Mbps)。また、電柱から宅内への引き込みといった屋外での利用は明確に制限されており、宅内オンリーでの利用、つまり、屋内・構内LANとしての利用に限定されている。
そもそも2001年当時の実験は、NTT電話網の規制緩和(アンバンドル化)で実現したADSL開始の勢いに乗った、電話回線以外の常時接続型ラストワンマイルを模索する規制緩和ムーブメントの1つだったのだが、結局、電力線からの漏えい電磁波による同じ周波数帯域のほかの無線への影響が大きいとして規制緩和が見送られた経緯がある。
このときに、PLC実用化の望みは絶たれた観があったのだが、その後「e-Japan戦略 II」でPLCの「研究開発の推進」が盛り込まれたこともあり、ゾンビのように再び息を吹き返し、2005年1月に研究会が再開された。そして、2005年末に利用場所を屋内に限定して規制緩和することが事実上決定されたわけだ。
「落としどころ」という言葉がある。前述のように紆余曲折の末に実用化された日本のPLCだが、今回の実用化は相反する考え方を主張し合う2つの勢力の間で、何とか“落とす”ことができた苦労の産物と見ることもできる。
ネットワーク家電の分野で新たな需要を掘り起こすための方策として是が非でも実用化にこぎ着けたい推進派勢力がいて、その対極には、すでに割り当て済みの電波という既得権を何としても死守したい反対派勢力がいる。まあ、端的にいうと、前者が産業界で後者が主にアマチュア無線(ほかに短波ラジオや電波天文関係も)ということになるのだが、電波絡みの新しい技術がフィールドに放たれる際には大なり小なり巻き起こる、このような摩擦ではある。
筆者も、アマチュア無線家(残念ながら現役ではないが……)だけにすでに割り当てられて日々楽しく使っている周波数へ悪影響を及ぼしそうな製品が、いくら産業振興のためとはいえ、あまねく市場に出回ることの嫌悪感は十分に理解できる。また、その電波の周辺には、それで生業を得て既得権益を受諾している人々も大勢いるわけだから場合によっては死活問題と映ることもあろう。
実際、日本アマチュア無線連盟をはじめとして、PLCに反対する有志の人々のホームページでは、PLCの有害性について彼らの立場で徹底的に言及されているし、独自に電波障害の実験まで行って反対を表明してきた経緯が詳細に見て取れる。
ただ、今回PLCが正式に実用化された背景には、漏えい電磁波による妨害を許容できる範囲に抑え込むめどが立ったことによる総務省電波監理審議会の「規制緩和を妥当とする答申」があったわけだし、そこにはアマチュア無線を代表する既得権側の意見も盛り込まれた形となっている。
「アマチュア無線のために完ぺきな結果には至りませんでしたが、一連の対策により無線通信には大きな妨害なく通信ができるレベルにこぎ着けることができました」と結論付けた日本アマチュア無線連盟の電波審議会の結論に対するコメントは、「高速電力線搬送通(PLC)の総務省電波監理審議会での最終結論について」 で読むことができる。
ただ、上記コメントに続いて「一方推進側にはPLC実施に対し、実用化が困難と思われる値で決着することができました」と、答申を骨抜きにしてやったり! と勝ち誇ったような文言があるのだが、現に製品が出荷されるに至ったことを考えるとメーカー側の努力がその“困難と思われる”基準をもクリアしてしまったということになる。
写真2:パナソニックコミュニケーションズ・国内マーケティンググループカメラ営業チームチームリーダー・寺内宏之氏
実際、12月9日に「HD-PLC」技術を使用したPLCアダプタ製品を発売する松下電器産業は、特定の周波数の出力を抑え込むことでアマチュア無線や短波ラジオへの妨害電波の発生を最小限にすることを可能にした「Wavelet OFDM」方式を導入し、「非常に厳しい日本の漏えい基準をクリアすることに成功」(パナソニックコミュニケーションズ・国内マーケティンググループカメラ営業チームチームリーダー・寺内宏之氏)したと胸を張る。
ただ、日本アマチュア無線連盟が結論付けたように今回のPLCが骨抜きにされた結果としての実用化というのであるなら、その正否はマーケットが審判を下すことになるわけだから、今後の展開がどうなるか楽しみだ。
まあ、そのあたりは松下電器の側も心配しているようで、今回のPLCアダプタの記者発表に出席した記者にモニターとして製品を配布したり、電力系の通信事業者6社のブロードバンド回線ユーザーにモニタートライアルという名目で製品をプレゼントするなどして、とにかく使ってみて! という物量作戦に出ている。
まあ、これはこれで、PLCの行く末を占う意味では歓迎すべき手法だと思う。というのは、いくら基準をクリアしたとはいえフィールドに、しかもある程度の数量を出して使ってみないことには、妨害電波に関しては、その影響がどうなるか分からない部分がたくさんあるわけだから。
例えば、「Wavelet OFDM」方式の説明にも、「妨害電波の発生を最小限」にすると書かれており、「妨害電波の発生を最小限」という部分の言い回しに、PLCをめぐる問題の難しさがあって、対策を施した機器であれば、電波妨害は起きないのでは?といわれると「何ともいえない」というしかないもどかしさがあるのも事実なのだ。
厳しい基準をクリアした製品とはいえ「家庭用です。屋内で使ってください」と断り書きを付けて出荷しても、その使用環境は千差万別で、メーカー側では想像もつかないような環境や使い方をされる場合もあるだろう。そして、それが不幸にも近隣で短波系の無線を利用している人への障害要因となる可能性も十分あり得る。
そのような場合、総務省の側でも「十分な対策を取る」(日本アマチュア無線連盟のコメントより)としているようだし、そこは、なるべく早くPLC機器がたくさん出荷されて“ウミ”を早々に出してしまうという考え方があってもいいと思う。
不幸にも“ウミ”がたくさん出てしまうようなことになれば、もしかしたら、マーケットはPLC製品に退場を言い渡すことになるかもしれない。そうなると、日本アマチュア無線連盟のいう「実用化が困難と思われる値で決着することができました」という文言が正しかったことになる。
「はてな」を作り出す人的ネットワークの仕組みとは (2007/8/24) 次々とWeb2.0的サービスをリリースするはてな。拡大する組織の中で行われているコミュニケーションのかたちとは?
@IT ネットワーク用語辞典 (2007/8/22)ネットワーク管理者のための用語集です。「LAN」や「IPアドレス」といった基本中の基本から、「HTTP」などのプロトコル、「ping」などのコマンドまで、幅広く解説します
正式サービス開始をにらみモバイルWiMAXに熱視線 (2007/8/2) 次世代モバイル通信を支える有力な技術がモバイルWiMAXだ。固定ブロードバンド通信並みのスピードを安価に提供できるとして注目を浴びている
いまだからこそTwitterの楽しさを知るべきです! (2007/7/23) 「5分でネット」が装いも新たにリニューアル! 気になる話題をてっとりばやく自分の知識にできちゃう連載、第1回は「Twitter」です
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